ー 日本のお米に命を吹き込む
日本のお米は産地銘柄問わず、美味しいもので溢れています。ですが、それが差別化が難しい点につながっています。
お米食味鑑定士でもあり、隅田屋商店でお米の目利き・嗜み方を修行した自分がそこのお手伝いをしながら、農家さん自身が自分のこだわりや自分のお米への愛情でお米を売れる環境を整えていきます。
ー 浦島食品とは
元々「浦島食品」は、
創業100年を超える三代に渡って守られてきた私の血筋である浦島家の家業である町のお米屋さんです。
学生時代から浦島食品で4年ほど働きながら、お客様である飲食店や日本酒酒造と協力し、お米を使った料理のケータリングや町おこし企画などをし、関西学院大学を卒業した後に新卒の切符を捨て、アメリカ・サンフランシスコに留学しながら、地域のアメリカ人たちに対しおにぎりを振る舞うなどして、お米屋さんとしての新しい道を切り拓こうとしていました。
しかし留学中に祖母が一人で守っていることもあり、会社にさまざまな問題が起きました。従業員の横領、お客様の引き抜き、脅迫など。私が留学中に祖母は限界に達し、相談なしに廃業を選択し事後報告で私の耳に届きました。そこから自分自身の目標と生きがいを失い、迷走しながら関わる人たちを自分自身に置き換えサポートしてきました。皆がどんどん前に進む中、挑戦せずにいた自分は一人置いてけぼりになっていることに気づき、30歳目前で東京の隅田屋商店で再度、お米の道に戻り、お米の目利き・嗜み方を学び、独立し、あらたな日本のお米の可能性を秘めた北海道へ移住。
生産者さんの近くに住むことで、生活の一部始終を知り、お米の流通の問題や収入の問題を目の当たりにすることで、未来のお米産業の存続に危機感を持ちました。
消費者にはお米の正確な価値を、生産者には土地と未来を守ってもらうための対価を与えられるプラットフォームとしてさまざまな生産者様と共にお米の未来を作っていきます。
ー 四代目浦島食品とは
私自身がもし浦島食品を継いでいた場合、四代目に当たることが由来となっています。すでに他界した父と祖父の思いと祈願を果たすため、再度、自分自身がその名前で2人の成し遂げたかったことを成し得るため精進します。